2022年5月15日
そういった層の方々に関する正しい情報は、社会に正しく伝わっていないものです。当事者自らの発信が少ないのも原因の一つでしょう。するとなんとなくネガティブなイメージが先行し、周りも無意識に遠ざけてしまう。そうすると尚更イメージが悪くなるという悪循環です。
でもそれは単に相手の情報が不足しているだけなのかもしれません。分断されたコミュニティの仕組み、構造の問題でもあるでしょう。
認知症が最後の最後まで進行した結果、意味のある発語をできなくなったじいや・ばあやが、見えないところに大勢おられます。その方たちの人生、例えばどんなことが好きだったのか?どんなこだわりがあったのか?どんなことを成し遂げてきたのか?はたまた、どんなことが絶対イヤだったのか?(そもそも過去形で表すのが失礼ですが敢えて)
その過去をリアルタイムでは我々知る由もありませんが、彼等にも輝いた人生の「いま」がありました。でも、先輩方は自分ではうまく伝えられない時もある。
ところで相手が何者か、よく分からないまま、心の通ったケアが自信を持ってできるでしょうか?
もし誰にでもできれば、高齢者・障害者虐待などの事件がこれほどまでに起き得ないでしょうが、実際にはそういった事がしばしば起こります。介護離職率も高い。
だからこそ、お互いのために相互理解しやすい仕組み、仕掛けが必要だと思います。人となりが分かりやすくなる仕組みによって、今まで以上に当事者たちが周りから理解されて、結果として、より質の高いケアを受けられる。今までにない、周囲との関わりをも、持てるようになる。その結果、亡くなった後も、人のココロに残っていく。
そんなコミュニティをまずは小規模に実現していきたいと思っています。