2022年5月15日
本プロジェクトで何をしたいのか?機能的にひとことで言うと「シニア向けの共同住宅🏡」なのですが、ちょっと変わってます。
というのは、シニアだけじゃなくて、同じ建物内に小さい子供やそのママ(勿論パパも可)や😸や🐶たちも暮らしてもらう予定です。あと基本死ぬその時まで、安心して自分の部屋で過ごせます(例えば医師や看護師がシェアハウスの同居人になるなど、医療、看護、介護に気軽にアクセスできます。結局最後は病院に送られてしまう介護施設もいまだ多い)。また、もし認知症になっても安心して過ごせるように、住民同志が互いに理解して準備して、支え合って生きていく関係を模索します。
また、住んでいる人のためだけではなく、周辺住民の方々、とりわけ子どもや子育て世代にとっても、遊び・学べ、立ち寄って相談しやすい居場所、でありたいと思います。
なんでやろうと思ったかというと、そういう環境がシニアの「生きがい感」、「孤独の緩和」につながると思ったからです。逆に言えば、「生きがい感」や「孤独」という点で、社会から取り残されているシニアが予想以上に多いことを、仕事柄たまたま知ったのです。
終わりよければすべて良しということわざもありますように、人生の「しまい方」の質も大切かと思うのですが、立派な現役時代を過ごされた方が最後うまく逝かれているかというとどうやら意外とそうでもない。人生会議~とか国が言葉を作らんといかんくらいです。
私、大学を卒業して研修医として就職しましたが色々有り半年で仕事を辞めちゃって、右往左往してました。が、とある先生に拾われて、訪問診療、在宅医療の世界に入りました。その後今に至るまで10年以上、在宅医療・緩和ケアに関わる中、公的な特別養護老人ホームから入居金ン千万円❣もする有料老人ホームまで、立場上様々なシニア向け住宅を見てきました。
でも、自分が将来住んでみたい所ばかりかというと正直そうでもないんですね。シャンデリアが誇らしげに輝くめっちゃ綺麗なホテルライクな高級老人ホームもあるけど、大事なのってそこ???居住者の全てが超高齢層で不自然に統一・合理化され、外界との接点がほとんど無く(特にコロナ以降より一層顕著)ある意味社会と分断されている点はどこも共通だと感じます。
ところで一人特に印象に残っている、ばあやがいます。とても元気な90代の独り暮らしの方で、4年くらいご自宅で私が往診してたんですが、転んで骨折したのをきっかけに、本人が望まない形で(家族の勧めで半ば強制的に)老人ホーム入所をしたんです。
そしたらあっという間に弱って、3カ月で亡くなってしまった。
原因は、直接的には食事が合わなくてどんどん弱ってしまったんですが、その間ずっと無表情で、適応障害というかうつというか、メンタル的にきつかったんだと思います。もちろんそういう人、そういうホームばかりじゃないと思いますが実際そういう人もいるんです。
3か月で亡くなるまでの経過中、私毎週往診してたんですが、たまたまばったり一度だけ、お孫さん&ひ孫ちゃんが面会に来ている場面に出くわしました。
その時の明るい活き活き笑顔!といったら、それまでの沈んだ本人とは全くの別人。「この時間がずっと続けばいいのに」とその時思いました。もしこういう機会が継続・日常的にあったら、3カ月で亡くなることはなかったと思います。
このように、理屈抜きにポジティブな子供のパワーを、いつか自分が診ている患者さんのために借りたいと思ってました。